屋代線跡・探訪ドライブ

長野電鉄屋代線、松代駅の跡地。現在は駐車場になっている場所にデリカD:5を止めている。 廃線跡探訪

長野県千曲市の屋代駅と、須坂市の須坂駅を結んでいた長野電鉄・屋代線。現在では廃線となってしまいましたが、かつての路盤跡や橋、トンネルなどが残されているということで、ドライブしながらその痕跡を探してきました。

屋代線ってどんな路線?

 屋代線は、長野県千曲市にある「屋代駅」から同・須坂市にある「須坂駅」までを結んでいた鉄道路線です。もともとは、1922年に開業した河東鉄道の河東線に由来する路線で、その後は長野電鉄によって2012年まで営業されていました。

 90年という長い歴史を持つこの鉄道は、地域住民にとって大切な足として活躍をしてきましたが、近年は慢性的な利用客の減少に悩まされ続けてきました。長電や沿線自治体(長野市、千曲市、須坂市)が中心となって、なんとか活性化しようと様々な試みがなされてきましたが、結局、2012年に代替バスを運行することで屋代線を廃止することが決定します。

 このあたりの経緯は、各地の赤字路線と同じような経緯を辿ってきたといえるでしょう。

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スタートは須坂駅から

長野電鉄須坂駅の現在の駅舎と駅前バスロータリー。

 屋代線の起点は屋代駅、終点が須坂駅となっています。今回は終点側の須坂駅から探訪スタートです。

 現在の須坂駅は、長野電鉄長野線の走る現役の駅。駅前にはバスロータリーがあり、「長電バス」や「すざか市民バス」が乗り入れをしています。路線バスの中には屋代線の代替となる「屋代須坂線」もあります。このバスは須坂駅を出ると、井上や若穂病院、川田駅、松代駅、岩野というように、屋代線の駅を辿るようなルートで運行されています。

須坂駅のすぐ近くに屋代線のメモリアルパークが!? 「河東線記念公園」

廃線跡に作られた、河東線記念公園の写真

 須坂駅から南西の方角すぐの場所、国道406号線に面して、スーパーマーケットの「ツルヤ(りんごバターで有名)」があります。この隣にあるのが河東線記念公園です。

 ここは、かつての屋代線の路盤跡を再整備して、公園として解放している場所です。園内にはかつての引き込み線の線路がそのまま残されており、レールのほかポイントや車庫も見ることができます。ちなみに本線のレールはすでに撤去されており、本線跡は砂利敷きの遊歩道のようになっています。

河東線記念公園に残された、線路とポイント
一部のレールがそのまま残されていて、普段はじっくり見ることのできないホンモノのレールとポイントを間近に見ることができます。
線路のポイントを切り替える手動レバー
ポイントを切り替えるための手動レバーもそのまま残っています。残念ながら、実際に動かしてみることはできないようになっています。
長野電鉄・旧屋代線の線路跡。線路跡が小道になっているが、その道は河東線記念公園の先から、住宅地の間を右にカーブして抜けていく。
須坂駅を出た本線跡。河東線記念公園のある敷地を過ぎた先は、ゆるやかに右にカーブしながら、住宅地の間を抜けていったようです。

二連続で鉄橋が現存していた!!

長野電鉄。旧屋代線の市川橋梁(百々川橋梁)跡。

 屋代線跡を辿って南西方向へ進んでいくと、2本の川に突き当ります。千曲川支流の百々川と鮎川です。当時の鉄路はこの川を鉄橋で越えていくわけですが、なんとここに二本の鉄橋がそのまま残されています。

 こうした廃線跡では橋の跡というと、せいぜい解体の難しい橋台や橋脚だけが残されることが多かったりするのですが、ここはしっかりと橋桁までが残されています。そのため、往時の雰囲気を偲ばせてくれること間違いありません。

長野電鉄・旧屋代線の市川橋梁(百々川橋梁)跡。
須坂駅を出て初めての鉄橋がこの「市川橋梁」。かつては「百々川橋梁」と呼ばれていた時代もあったようです。なお、写真奥方向が須坂側です。
古い鉄橋と車。デリカD:5と屋代線市川橋梁。
一般的に「廃橋」の周りは草ぼうぼうでたどり着くのが大変なことが多いですが、この市川橋梁は、橋のたもとまでクルマで行けてしまいます。
旧屋代線の鮎川橋梁
市川橋梁のすぐ隣には二本目の「鮎川橋梁」があります。こちらも、橋のすぐ近くまで歩道が整備されているので、近接は非常に容易です。

並行する道路は綺麗に整備されるも、鉄橋はそのまま・・・

 屋代線の跡を辿って、上信越自動車道の須坂長野東インターチェンジ付近にやってきました。この付近は、高速インターの近くということもあって、やたらと物流センターが目立ちます。新しく何かを建てている様子も見られましたが、これも物流関連の施設なのでしょうか? 

 つい最近整備されたものと思しき道を進んでいくと、左手に築堤のようなものが見えてきます。どうやら屋代線の跡のようです。これを辿ってさらに進んでいくと、またまたありました。鉄橋跡です。ちょうど上信越道の下をくぐる直前に、小川に架かる小規模な鉄橋が残っていました。

 橋を越えた先はボックスカルバートで上信越道を潜り抜けていく路盤跡が続いていました。

背面にサイクルキャリアを装着して電動自転車のBESV PS1を積載したデリカD:5が、道路わきに停車している。
↑→幅広い歩道と自転車専用レーンまでもが整備された真新しい道。よく見るとこの先で道がグッと狭められているようです。旧屋代線は、ちょうど歩道のあたりに線路が引かれていたようです。
綺麗にな整備された田舎の一本道。路傍にデリカD:5が停車している。
道路とそれに並行して築堤跡のような盛り土が続いている。
道が狭まり歩道が消えると、築堤のような盛土が出現。ちょうど屋代線路盤跡に連続したところにこれが現れたので、「屋代線築堤跡だ~!」と喜びました。間違いなく屋代線はここを通っていたようですが、よく見ていくと、築堤自体は屋代線時代のものではないようでした。
旧屋代線の権五郎橋梁。
鉄橋跡のすぐ近くまで来ました。渡ろうと思えば渡れてしまいそうでしたが、右側の道は案外クルマの通行が多くてちょっと目立つため、渡橋は自粛しておきました。「権五郎川橋梁」という名前のようです。

綿内駅にクルマを置いてプチサイクリング!?

旧屋代線の綿内駅跡。駅名標の前に電動自転車のBESV PS1を置いている。

 綿内駅跡にやってきました。

 ここ綿内駅はかつて廃線後もしばらくは木造駅舎が残っていたようですが、2020年に老朽化などを理由に解体されてしまいました。現在では更地となっていて、駅跡地は駐車スペースになっています。

 この綿内駅から2つ隣の若穂駅までの間、路盤跡はサイクリングコースとして再整備されています。廃線跡を利用したサイクリングコースは全国にありますが、もともと鉄道は急な勾配を避けて敷設されますので、アップダウンの少ない鉄道跡地をサイクリングコースに転用すれば、自転車にとっても快適な走路となります。

 ということで、ここからは自転車を降ろして、サイクリングしながら屋代線跡を見て回ろうと思います。

旧屋代線跡を利用したサイクリングコースの入口。
サイクリングコースは、綿内駅のやや北側からスタートします。
旧屋代線の路盤跡。廃線跡。
サイクリングコーススタート地点から振り返ってみると、須坂方面に向かって路盤跡が伸びています。こちらはまだ手つかずのまま残されています。
旧屋代線跡を転用したサイクリングコース。
サイクリングコースはこのように綺麗に舗装されています。アスファルトの路面は凹凸もなく非常にフラットで走りやすいです。センターラインが引かれていますが、左右はそれぞれ自転車ゾーンと歩行者ゾーンという区分けになっています。
電動自転車BESV PS1と後方に長野県にある若穂病院。
長野松代総合病院の付属医院である若穂病院が見えてくると、ゴールはもうすぐ。1駅区間だけ、約1kmのプチサイクリングコースです。
旧屋代線の若穂駅跡地。現在はサイクリングコースに転用されている。
若穂駅の駅跡もすっかり再整備されていて、鉄道駅だった面影は全く残っていません。現在、駅跡地は駐車場と駐輪場になっています。
旧屋代線の路盤跡。廃線跡。
サイクリングコースは若穂駅で終わりですが、屋代線跡に沿ってもう少し自転車で進んでみようと思います。若穂駅より先の屋代線跡は、上の写真のように築堤となって続いています。これに沿う現道はありませんので、いったん国道403号線に出ます。
旧屋代線の築堤とその前に置かれた電動自転車・BESV PS1。
国道403号線で保科川を渡ります。橋の上から上流側(南側)を見てみると、屋代線の築堤跡が続いているのを見ることができます。その築堤跡を目で追っていくと、この保科川を渡るところに古びた鉄橋がかかっているのが見えました。そこで、国道403号線の橋を渡り終えてすぐに左折、あぜ道のようなところを鉄橋のほうに向かってみます。すると・・・。
旧屋代線の保科川橋梁。
築堤の上に登ってみると、目の前には大きな鉄橋が。「保科川橋梁」です。ここもまた市川橋梁などと同様、橋桁まで残っています。屋代線の鉄橋跡はほぼ全て橋桁まで残っているということなのでしょうか?
保科川橋梁のかかる築堤上から下の道を見下ろしている。下の道路には電動自転車BESV PS1が置かれている。
保科川橋梁に続く築堤の上から下を見下ろします。自転車がの大きさでその高度感が分かりますでしょうか? 意外と高さのある、立派な築堤です。
旧屋代線の築堤上に残された路盤跡。廃線跡。
大規模な築堤がこれから進む屋代方向に向かってずっと続いています。それにしても、なんだか築堤がキレイ過ぎやしませんかね・・・?

屋代線に残る100年前の駅舎「信濃川田駅」

旧屋代線の信濃川田駅。古い駅舎が残されている。

 若穂駅の次は、旧屋代線遺構の中でも目玉のひとつとなる「信濃川田駅」です。この駅は、廃止当時の駅舎が現在でも残っていて、しかもそれが今でもバスの待合所として使われています。バス用ということではありますが、現役の駅舎となりますので当然、建物の中に自由に立ち入ることができ、風情ある木造駅舎の佇まいを存分に味わうことができるようになっています(屋根の塗装や壁の漆喰など、最低限の補修はなされているようです)。

 現在残る駅舎はおそらく、1922年に河東線が開通した当時のものであるように思われます。駅舎内の天井には、1945年に米軍機の機銃掃射を受けたという痕跡が今も生々しく残っており、少なくとも戦時中にはすでにこの建物が存在していたのは間違いないようです。築100年にもなる駅舎が現役施設として利用されているというのは、本当にすごいことですね。

 なお、旧屋代線の中で駅舎が現存しているのは、2023年6月現在、この信濃川田駅と松代駅だけとなっています。以前は綿内駅も駅舎が残っていましたが、老朽化のため取り壊されてしまったことは前述した通りです。信濃川田駅や松代駅も、この貴重な木造駅舎がいつ取り壊されてしまうか分かりません。この駅舎が気になるという方は、ぜひ早めの訪問をおすすめします。

信濃川田駅の駅前ロータリー。ロータリーの中心には花壇があり、ピンクの花が咲いている。
駅前はロータリー状になっていて、往時はかなり人の賑わいがあったことが想像されます。現在でも長電バスがこのロータリーから発着しています。
旧屋代線・信濃川田駅駅舎内の様子。古い木造駅舎の駅舎内。
駅舎内部。現在はバスの待合所として解放されています。信濃川田駅の足跡を示すパネルに交じって、当時のものとおぼしき運賃表や時刻表などが残されています。
旧屋代線・信濃川田駅のプラットホーム。廃線と廃プラットホーム、古い駅舎が残る。
ホーム跡から須坂方面の様子。右側の木が植えられている盛り土状のところにも、かつてはホームがありました(相対式ホーム・2面2線の駅)。
旧屋代線・信濃川田駅に残る構内踏切の跡と線路跡。
構内踏切と線路の一部が現存します。かつてはここに古い車両も複数留め置かれていたようですが、現在では解体または移設されてしまって残っていません。
旧屋代線・信濃川田駅のプラットホーム。石造りの古いタイプのプラットホーム。
このアングルで見るとまるで現役の線路と駅のようです。石造りのプラットホームもなかなか趣があります。ホームをかさ上げした痕跡もまた、歩んできた歴史の一部と言えそうです。
旧屋代線信濃川田駅のプラットホーム。駅名標が残っている。
屋代方向の景色。駅名標がぽつんと寂しげに佇んでいるのが印象的。

トンネル跡もキレイに残っている!!「関崎隧道」「離山隧道」

旧屋代線の関崎隧道。関崎トンネル。廃隧道、廃トンネル。

 信濃川田駅からさらに西へと進んでいきます。長野県道380号線が千曲川を渡る辺りにあるのが、「関崎隧道」です。須坂駅を出て初めての隧道跡となります。道路から外れ、民家の間を通っている廃線跡を辿っていくと、ありました。関崎隧道です。

 新緑生い茂る6月だというのに、トンネルへ至る路盤跡は綺麗に刈り払いがされています。先ほどの築堤跡といい、現在の屋代線は完全放置の廃線というわけではなく、どうやら今でも誰かの手によってしっかりと管理されているようです。探訪時は、ここに限らず屋代線の路盤跡はほぼ全線に渡ってきれいに刈り払いが行われていました。

 トンネルは石造りの坑門が重厚な印象です。中を覗いてみると、内部でカーブしているためか、出口は直接見ることができません。奥の方にうっすらと出口の光が壁面に反射しているのが見えるので、それほど長いトンネルではないようです。内部は崩落はもちろん、ゴミや落ち葉の堆積などもほとんどなく、線路さえ引き直せばすぐにでも利用できそうな感じがするほどきれいに保たれています。

 トンネル坑口には立ち入り禁止の表示と簡単なバリケードが設置されていましたので、トンネル内部への立ち入りは控えておきました。

 一方、離山隧道は国道403号線からもよく見える位置にぽっかりと口を開けています。クルマの車窓からもすぐに気が付くほどです。先ほどの関崎隧道よりもさらに短いトンネルのようで、国道からでも反対側の出口まで簡単に見通すことができます。ここはトンネル自体も見どころではありますが、それよりも、緩いカーブを描いてトンネルに続く石垣の築堤に目を奪われました。

旧屋代線の路盤跡。
森の中にひそむ関山隧道へと続く路盤跡。わずかに盛り上がった路盤の痕跡が鮮明に残っていて、一直線に隧道へと向かっています。そこを辿っていくと・・・。
旧屋代線・関崎隧道の須坂側坑口とそこに続く路盤跡。廃トンネル廃線。
関山隧道が現れます(須坂側の坑口)。鉄道トンネルらしい、縦長なタマゴ型。鉄パイプを使った簡単なバリケードで封鎖されています。
旧屋代線・関崎隧道の内部。
関山隧道内部。ハシゴが残されていますが、保線に使ったものでしょうか。左カーブの先には出口の明かりが見えています。
旧屋代線・関崎隧道の屋代側坑口とそこに続く路盤跡。
関山隧道、反対の屋代側坑口です。こちらも刈り払いがしっかり行われています。なお、自転車での探訪はここまで。いったん綿内駅に戻ります。
離山隧道・須坂側坑口。屋代線は国道403号線と行き先が同じなので、ところどころに現車道と廃線跡が近接する箇所があります。
離山隧道へ続く築堤。しっかりと石垣で補強されています。写真奥が須坂側で、離山トンネルは写真右側に続いています。

地下壕で有名な「マツシロ」にも屋代線の駅が! 「松代駅」

 松代駅へとやってきました。「マツシロ」と言って思い出すのが、やはり松代大本営跡です(こちらも見学に行ってきました)。戦時中の悲劇を伝える大きな遺構のあるこの街にも、かつての屋代線が通っていました。

 松代駅は、屋代と須坂の間では最も大きな中間駅で、起終点の屋代と須坂を除いて唯一の有人駅だったそうです(廃止時点)。その駅舎が信濃川田駅と同様、現在も残っています。バスの待合所として使われているのは信濃川田駅と同じですが、その本数はまるで違います。少し見ていると、色々な行き先のバスが行き来していました。ここは鉄道が廃止された今でも、人々の賑わいを失うことなく、地域の玄関口として大切な役割を果たしているのだと感じられました。

見るからに歴史を感じさせる年季の入った駅舎。作りは信濃川田駅とそっくりで、これが屋代線のスタンダードな駅舎形状だったのでしょう。
駅舎内の様子。ここも信濃川田駅と同様、現在もバス待合所として解放されています。観光客や地元の方がひっきりなしに出入りしていてひと気が多いのは、信濃川田駅とは違うところです。
駅舎内には鉄道時代に使われていたと思われる張り紙や掲示物が残されています。かつての窓口カウンターの前には、定期券の買い方を示した説明書きがそのままになっていました。
ホーム側に出てきました。木製の扉や柱、屋根、それに漆喰の白壁が古き良き時代の名残りを感じさせてくれます。ホームには点字ブロックや乗車口を示すペイントもそのままです。
ホームの端から見た駅舎。写真左側(かつて線路敷きだった部分)にはたくさんのクルマが止まっています。ここは現在、駐車場として使われています。
ホームの天井から当時モノと思しき信号がぶら下がっています。ただ、この柱や梁、天井の具合を見ると、この駅舎もそう長くは持たないような気も…。

松代~屋代間にも見ごたえある遺構が!

 松代駅を出て次なる探訪地は、「北山隧道」跡です。ここは国道403号線から千曲市道5262号線に入ってすぐの場所にあるトンネルです。須坂方面から来た電車はこの北山隧道を抜けるとすぐに市道5262号線を踏切で通過し、鳴海排水機場脇にかかる鉄橋を越えていました。この場所はトンネル、踏切跡、鉄橋と3種類の遺構を見ることができる場所になっていますが、踏切と鉄橋の間は私有地の駐車場になっているため、立ち入りはしませんでした。

 その後、屋代線は千曲川支流の三滝川に沿って南下し、少し行くとその三滝川を鉄橋で渡ります。これが「沢山川橋梁」跡で、見どころのひとつです。橋の周囲は護岸工事がなされて綺麗になっているのですが、この鉄橋だけがぽつんとそのまま残されていて異様な雰囲気を漂わせています。

 さらに東屋代駅跡を過ぎると、路盤は現役のしなの鉄道線と合流し、そのままゴールの屋代駅へと入っていきます。なお、松代と屋代の間にもいくつかの駅(象山口駅、岩野駅、雨宮駅、東屋代駅)がありましたが、いずれも駅舎は取り壊されてしまっており、現在では駅を思わせるような遺構はほとんど残っていませんでした。

北山隧道跡。市道からもよく見える場所にぽっかりと口を開けています。
北山隧道内部の様子。こちらも他のトンネルと同様、内部にゴミや落書きなどはなく、きれいに保たれていました。
洞内と同様、トンネルにつながる路盤跡もしっかり刈り払いがなされていて、坑口への接近は容易でした。
北山隧道に近接する市道5262号線に残された踏切跡。白いコンクリートに挟まれた灰色のアスファルト敷がかつての路盤跡。
三滝川を渡る「沢山川橋梁」。この鉄橋だけが周りの風景とは異質で、強い違和感を覚えます。
廃橋とはいえ、橋自体はまだまだ現役線としても使えそうなぐらい、しっかりしている印象。
手前の堤防上を緩く右カーブしながら橋梁で川を渡っていたようです。その先は築堤がずっと続いています。
沢山川橋梁。橋の上にはバラスト(?)らしき石が敷き詰められています。渡れそうですが、一応立ち入り禁止です。
この橋もクルマでの接近が可能。これだけの遺構が、人々の生活のすぐ隣に残されているというのは驚くべきことですね。
銘版もしっかり残されていました。1988年という、意外に新しい竣工年が刻まれていますが、これは河川の流路変更に伴って、橋自体の架け換えが行われたためと考えられます。
現役のしなの鉄道との分岐・合流地点。場所は長野道・更埴インターのすぐ南側付近。
屋代駅に到着です。須坂~屋代間は路線距離24.4キロという長さで、クルマを使えば半日程度で遺構跡を見て回ることができます。また、自転車を使ってサイクリングしながらでもちょうどよい距離感でしょう。
屋代駅をバックに、愛車のデリカ君。

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